朝ごはん



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キヌア 

エビとトマトのチリソース

くるみ いちじく フレッシュバジル 生ハムのサラダ








 

マスカット。




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ウシシシシシ♡










プリンっ♪プリンっ♪プリ〜ンっ♪









この子も


しんちゃんのお尻みたいだぜ。



















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大阪出張〜♡






まゆみさんに美味しい飲茶のお店に連れて行ってもらいました♡



二次会は、抹茶スウィーツのお店へ♡ ウハウハ




















仕事は報酬をもらえるから楽しい。








報酬がないと、やる気がなくなっちゃったり、つまんなかったりで



自信もなくなることもある。























報酬の定義は大小、さまざまですが


わたしの一番は「感動」。




















くらいついてきてくれることが、たまらなく嬉しい。











「くらいついてきてくれる」というのは




「ガルルルルルー!」と、襲い掛かってきてくれることじゃなく。













どすこい!どすこい!ツッパリ!ツッパリ!ツッパリ!ツッパリ−!と





ツッパッてくれることでもなく。




























(責めること、心配すること、正当化といった)





ムダなじかんを遣っていることに、ヤだと思ってくれること。











そんなじぶん(人生)は、もうイラナーーーーーイっ!



と、本気で思ってくれること。














「ない」ものは、出せません。










「じぶんにそんな時間を与えない」ということは




「相手にも与えない」ということ。






























そして、じぶんを諦めないでいてくれること。










嬉しいこと、楽しいこと、大好きなこと、ホッとすること、スッキリすることといった









そのひとの定義(視点・感覚)が変わること。
















それが、一番の報酬です。










じぶんの一番(素直)が後回しになると



そこに繫がる、望む結果はありません。


















「楽」をすると、焦りやひがみ、諦め、孤独という



「ツケ」がまわってきます。












その「ツケ」がハッキリと浮き彫りになるのが




じぶんの素直を夢中で生きているひとの姿を、目の当たりにしたとき。














や、もう二度と経験したくない




大きな痛みや恥ずかしさを感じたときだったりと。




















そのときの、感情(温度)は




神様からの、スペシャルプレゼントです。

















じぶんが、夢中でかけてきた時間。



「べき」「ねば」「でも」「だって」






力んでいるわたし、心配ばかりしていたわたし




ウソのじぶんの理想を守り続けてきたわたし。
















最近、逃亡したj子さんも戻ってきてくれて



めちゃ嬉しい。








逃亡前とは違う本気さが伝わってきます。w











ひとは、「感」じて「動」く生き物。












「わたし、気づい(感じ)たんですっ!」



という、温度では足りない。













気づいたから?(♪)








で?(♪)















そこに、「行動」というものがともなわなければ




「行動」し続けなければ、なにも変らない。




















こんなに努力したのに。





と、思うことがあるかもしれません。










でも、「こんなに」の「こんな」とは?(♪)
























どんだけ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ♪♪♪















































































しつれいしました。















「こんなに」というのは



じぶんの基準(枠)でしかありません。
















野球選手になりたければ、野球選手になる努力をして当たり前。












もちろん、ならなくていいよ♪だし



努力しなくてもいいよ♪















野球選手にならなくったって



いまのままで、素晴らしい存在なのだから。


















でも、じぶんの素直が



「そこがいいーっ♪♪♪」のなら別。

















努力の質・量を「そこ」にあわせるのは




当たり前。

















いくらじぶんで、「一生懸命やりました!」「どやっ!」「どやさっ♪」といっても。
































そのステージにいるひとに




笑顔で、見守られてしまいます。














もしくは、しかとされる。










もちろん、決して


意地悪されているわけではなく。

























「もっと褒めてくれなきゃ、もっと認めてくれなきゃガンバれない!」











































そこまでして



ガンバらなくて、大丈夫です。(by神様)


























逃れられない状況なら?(♪)



















もう、いいません。笑




























努力しているのに



結果が伴わない、愚痴や不平不満、泣き言がでちゃうのは



努力の仕方が足りないか、向ってる方向が間違ってる。









だけ。





















本当にそこに行き(生き)たいひと(思考の状態)は



それも含め、もがきながら、抱えながら、走るっ♪

























(しんどいですが、ナニカ?♪)












(つらいですが、ナニカ?♪)














(キズついてますが、ナニカ?♪)




















だれがどうの。





そんなことは関係ない。やりたいからやるんです。






生きたいように生きるのです。








楽しいことは、決して楽なことじゃない。






楽なことをしていては、その先の楽しいには出逢えない。



























好きなひと(もの・こと)がいて




そのひとにもおなじ思いになって欲しければ



イジイジ、プンプンしている余裕はないのです。















どうすればいいか、夢中で考え、行動している。















素敵なひと(=たどり着きたい場所)は




ライバルがいっぱいいて当たり前。
















そのライバルが、じぶんの知らないところで




夢中でガンバっている姿を意識する力が乏しいと・・・


















おしいっ♪


















好きだから、イジワルしちゃう〜っ♡















と、相手のイヤがること、めんどくさいことをすること、ついさぼっちゃうことは




問題外。


















相手のことを好きなのではなく?(♪)











「その努力はしないけど、こっちをみてみてーーーーっ♪」





















お子ちゃまのすることです。





















でも、そこをどう思うかは、相手の問題。
















生きたいように生きればいい。














だけど、本当にそのひとを思っているのであれば



なにをすれば相手が喜ぶのか、嫌がるのか、悲しむのか、迷惑なのか。





わかるはず。



















大好きなのは、相手のことではなく




じぶん。

















じぶんが、一番このひとを思ってる。






















うんにゃ。









本当にそのひとのことを思っているひとは



隠れてでも、そこに近づく



努力をしています。















なぜならば、楽しいから。









そこにいると、じぶんが良くなることを(本能が)知っているから。










ひとは、損得で動きます。











じぶんが損するとわかっていることは



ぜったいに、やりません。














問題は、その視点の広さや深さ。













目の前の損得ではなく、人生の損得。




















ちなみに、定番ですが



ライバルに勝つ方法♪















それは、ライバルを気にすることではなく



これでもかというくらい細かく



その動きを観察すること。
















そうすると、ライバルに対しての対策をとることができます。




















本当のライバルとは?(♪)














































つまらないじぶんの思考パターン♪←答えゆーんかい!
























じぶんのことも、表面しか見えていないと




相手のことも、表面しか見えていません。











なので無意識の行動(判断・選択)が



トンチンカンになるのは当たり前。














子育てもおなじ。













子供・パートナーの人生を意識する力(イメージング)が弱いと



自分が相手の成長をジャマしていることに気づかない。













ので、距離間(感)がない。(ひとの人生をじぶんの人生だと思い込んでいる)















家族が大事。子供が大事といいながら




実際に、やっていることは?(♪)






















それでいい。
















ここは、問題じゃない。















問題に気づいていないから、問題外。














じぶんの問題に気づかないひとは




ひとの問題に首を突っ込みます。












問題がわかっていないもの同士。
















なので、問題が大きくなるか



いつまでたっても



なにも解決しない。(おなじような問題を引き起こす)


















現実は、当たり前のことしか起きていません。














じぶんの問題さえみえていないのに




自分以外のひとの問題をどうにかできるわけがないのです。















まだ、問題をとくにも至らない状態。















それが、いいとかわるいとかではなく。














それが、本当の「いまの」じぶんの姿です。
















問題が見えるのは、ここから。











じぶんが何をしているのか、気づいたとき。















それが、スタート地点(いまここ)。















まずは、スタート地点が明確でなければ




目的地が明確でも




どの方向に向っていいか、どうやって行けばいいか




わかりません。













目的地がみえなくても





じぶんがどこにいるのかがわかっていれば




「あっ♪あそこ楽しそうだな〜っ♪」





という、方向や行き(生き)方がわかります。























大事なのは、目的地ではなく、現在地(いまここ)。






















そこ(スタート地点)を明確にする方法のひとつ。














自分の中からでてくる感情(わたし)を





しっかりと、コトバにする。



















擬音語でかたずけず



その子を、あやふやに、中途半端にしない。←大サービスですよー♪♪♪












そのコトバ(わたし)を


鮮明にする。















その子は、生きてます。












その子がどうしたいのかを



(途中で大人の思考をはさまずに)



しっかりと聞いてあげる。

















「自分」だと思うとできないかもしれませんが



見ず知らずの迷子のちっちゃい子。









だと思う(イメージする)と


めちゃくちゃ優しく、忍耐強く、聞いて(質問)してあげられます。










だって、相手は



いいわるいという概念がない、小さな小さな




ぐずってる子供。




不安でいぱいの子供。




キズついている子供なんだから。

















あるがままのコトバ(欲求)が



でてくるはずです。














そこが基準(スタート)。














どうしてそんなに悲しいの?(♪)どうしてそんなにスネてるの?(♪)




どうしてそんなにおこってるの?(♪)




どうしたら、あなたは笑顔(思い通り)になるのかな?(♪)















それが、いいわるい関係ない視点で




聞いてあげられます。



















すると、その子はどうして欲しい(どうしたい)か答える。
















聞き(問い)続けると



簡単に答え(問題)はみえてきます。
















問題がわかると、解き方(対処対応)が



わかります。(この地点では、やるやらない、できるできないは問題ではありません)




















まずは、ひとつひとつ丁寧に



問題を鮮明にする。
















とてもシンプル。

















(で、話は飛びます。)

















コトバ(問題を鮮明)にすると、どれだけ自分が幼稚なことをしているか?(♪)






そこまでの思いがないか?(♪)






意識の低さが、わかります。
















ダメじゃなくて。













それでいい。


















そこではじめて、その子に応じた




対処対応ができます。





















そこがわからないと



いつまでたっても本当のスタートはきれません。





※おなじところをグルグルしているひと(思考の状態)の特徴です。


















たとえば、タバコをやめられないのは




ニコチンのせいです。










でも、ニコチンを責めても、ニコチンを摂取したじぶんを責めても




ニコチンを作ったひとを責めても、その環境を責めても、なにも解決しません。















ニコチンがどれだけわるものかを調べても、どんなにすばらしいニコチンの抜き方の知識を入れても





アイテムをつかっても





ニコチンを抜ける保証はありません。






















ニコチンを抜く方法は、ただひとつ。





























ガンバル。笑




















「関わらない(ガンバる)」という




じぶんの努力(意識)。

















ここ(決断)があって、自分に合った(そんな自分を助けてくれる)




知識やアイテムが活かされてきます。


















でもね、どっちでもいいんです。













そこは、そのひとの問題。





















・タバコをやめられない⇒思い通りの現実にならない





・ニコチン⇒思考(親・身近な大人からもらったもの)







に変えてもう一度、味わってみてください。(ひつまぶしてきな・・)























夢を達成することは




果てしない努力がいることかもしれません。















だけど、じぶん(思考)を変えることは



ともても簡単なこと。















もともとは、シンプルな問題を




大袈裟に大事に育ててしまっているのは




自分自身。

















それを、解く努力をするかしないかは




そのひとの問題であって




聞き手(観察側)の問題ではありません。(ひとの問題をとらない。そんなことより?♪)














生きたい生き方ができなかったのは




だれかのせいかもしれませんが




今、生きたい生き方をしないのは、じぶんの責任(問題=なぞなぞ♪)です。













だれも責める必要などなく




じぶんの生き方を主張する必要もなく




じぶんが、生きたい方向にいけばいいだけ。























じぶんを動かしてくれるものは、「温度」です。

















「わたし」というひと(思考の状態)が、本当に出逢いたいのは




すごいひとでもなく、立派なひとでもなく、正しいひとでもなく




その(自分に合った感動の)温度を与えつづけてくれるひと。















それが、イタミであっても。

















そこまでのイタミを経験しないと




「わたし」は、感動しない(動ける温度にはならない)から。

















「わたし」の本当の姿は



わたし(意識という思考)は気づいていない。










でも



わたし(無意識という行動・セルフトーク)は、ぜんぶ知っている。


















オールOK♪



















 

朝ごはん




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バジル ゆで卵をのせたパン

玉ねぎ ピザチーズをのせて焼いたパン

生ハム ラディッシュ 赤玉ねぎのサラダ

焼いたミニトマト

水切りヨーグルト ラズベリー プルーンペースト

モッツァレラチーズ くるみ










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ボ〜〜〜っとしてたら

こげちゃった・・









 

朝ごはん



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甘いクロワッサン

ぶどう

ゆで卵 フルーツトマト レタスのサラダ

生ハム ケイパー 赤たまねぎ

ブルーベリーとヨーグルトと牛乳のドリンク









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すっかり寒くなりましたねー






 

朝ごはん



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ブルーべリーのベーグルにクリームチーズと

無糖のブルーベリージャムをはさんだもの

焼き野菜(おくら しいたけ)

フレッシュバジル 生ハム いちじくのサラダ

くるみ 










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朝ごはん




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ゆで卵 クレス ピクルス

焼き野菜(ズッキーニ 甘長ピーマン しいたけ)

くるみ カシューナッツ アーモンド

ぶどう

ケーキ









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お抹茶と黒豆のチーズケーキ♡







 

フレッシュバジル。










フレッシュバジル。








食べつくしてしまったので


そろそろ、この子とは


お別れの季節です。






植え替えて、育て・・・・・・・・・・♪









ません。笑

















































おけいさんからの、メールにビックリ。









そういったものをみせたくないので


ぜったいに、バレないはずなのに。











why?(♪)














押さえているわけでもなく、隠しているわけでもないんです。




なので、「バレル」という表現は少し違う。

















ある問題を抱えていました。






まだ、解けていないうちに


こともあろうに、さらにデカクしてしまった。














最も、さけているひととからんでしまったのです。(あちゃー)















解決できていない問題が、デカくなると?(♪)














対処対応に追われる。




出口の見えない対処対応は、つまらん。











つまらんことは、消耗となって蓄積。














そこに対して、対処対応。(無限大にある)












そんなことをしょっちゅうやっていると





(あ、このひと問題かかえてるな?今回は、やけに長いぞ?



ということは、かなり疲れてるな?)











ということが、表面的にはみえなくともわかります。











なので、おけいはんにバレた。(ということ)


















「イカリ」というものをプラスに変えることがスキです。(セツナサも♪)











素敵なわたし発掘♡ 宝探しゲームみたい。イエイ、イエ〜イッ♡












イジイジ、スネスネもおなじ。











どんなに高い温度(イカリ)でも、集中すれば(無になれば)



その源(わたし)がどこからきているのか



探り当てることは可能です。














なぜ、可能かというと、見つけるまでやめないから。笑

















(んが)今回は、本当にしつこい。












たいがい、どんな温度でも、半日もあれば充分。










なんと、17日もかかってしまった!














その間、「コンニャロー!」「ええかげんにせーーーー!」



しかでてこない。










誰かや何かを責めている。






限りなく視野の狭いひと(思考)の状態です。














こんなにもがんばっているわたし。理解されず可愛そうなわたし。












「イカリ(プンプン、イジイジ、スネスネ)」が湧いている間は



なにをやっても前に向くことはできません。











相手(なにか)が(じぶんの思い通りに)変ればいい。










そのようなじかんは、わたしの人生にとってムダ。














なので、焦ってはいるのですが(焦っているので?)


イッコーに、出あいたい視点に出合わない。
















どんだけ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


















これは、IKKOさん。
































涼しくなってきましたね。(⌒∇⌒)





























































この時間が、ムダで終わるか、キランキランの宝物に変るかは


じぶんの集中力しだい!(ガンバレひとちゃんっ♪)










と、じぶんにエールを送りながら



わたしには、「ムダ」で終わるという選択肢がないことも知ってるのでw




どこまで彫り下がるだろうか?♪



なにがでてくるのかと、見ものでもありました。





















その温度が高ければ高いほど



わたしはわたしの観察しがいがある。

















「イカリ」というのは、「ダメ」なものでも「わるい」ものでもなく



奥底で押さえ込んでいた「わたしの」「キズ」や「不安」が形になった(わたしの)ものです。
















「ここ」をすっとばし、表面的に前をむいても意味がありません。











あるものは、あるのだから。











隠しても、正当化しても、別のなにかでごまかしても、なだめても。


















慰めてほしいときは、慰めて。っていいます。







悔しい時、悲しい時は、ワンワン泣くし


腹が立っているときも、プンプンおこります。






どうしていいかわからないときは、助けを求めます。













でもこの時点では、ただの愚(ウン)痴。













大切な家族に、こんなものを蒔き散らかしたくないし




漏らしたくない。










もちろん、それは



大切な友達にもおなじ。(もちろん、見ず知らずのひとにも)





















それは、憧れのひとたちを観察しているとき気づいた



その世界の当たり前(常識)。










じぶんの常識が非常識だということに、愕然。










なので、その世界で、ルールを守らないひと



非常識なひとは、きらわれるのではなく、相手にされない。












もしくは、「いいよ♪」をされる。笑













興味をもたれることがない=その世界に入れない=夢が叶うことはない。




という、当たり前の方程式に気づいて、更に愕然。















だからこそ、じぶんがどうしてうまくいかなかったのかも





(憧れの世界なのに)居心地がわるかったのかも




そのとき鮮明になりました。(居心地がワルイのでじぶんから去ってしまう、逃亡あるあるw)















ですが、「わたしも、そこがいいっ♡ 」と、素直と繫がった日から



それは、わたしの軸(常識・ベース)になりました。












だから、イカリやイジイジで



大切なひとの人生(時間)をうばいたくないし、巻き込みたくない。












じぶん自身も、そんなことに、じかんを使いたくない。












「わたし」を客観視(愛すること)さえすれば


そんなことしないですむのです。











時間もお金もかからない、特別な知力も体力もいらない。



だれでもできることをやらない、というのは


ただの甘えん坊さん。(オムツちょーだーいっ♪)










甘えん坊さんはどこでも漏らすし←恥ずかしいこと、迷惑なことに気づかないから、またおなじことをする


「おトイレ行きたい♪」と、じぶんのしたいこともいえない、わからないから


ガマンしすぎて、漏らす。




















だけど、そんな(愛する)ことさえできないひと(思考の状態)もいる。









気づかないだけではなく、甘えとか、めんどくさいとかも含め



ひとは、できることしかできないのだから。











それでいい。












なので、相手がどうのではなく



イカリを感じているのはじぶんなのだから



じぶんが、そんなキモチになるようなひと(もの・こと)とは



距離をとるようには、心がけています。










こんなにもしてあげたのに。こんなにもガマンしてあげたのに。









「してあげた」という、謙虚さのかけらもないコトバ(セルフトーク)がじぶんの中からでてきたとき


そのひと(もの・こと)とは、距離を置くことを決めています。












わたしルール。






そこまで(=できないことは)しなくていい。
















すべてのことは


「したい♪」「させてもらってる♪」




























そのときは、気づかなくても、その子(わたし)は


なにかが起こった時に


必ず顔を出してくれます。












気づいたときが、(じぶんの器に気づく)チャンスです。笑













「そこ」から、それでもガンバリたいのか




諦めるのか、じぶんで選ぶ。















相手やなにかを変えようとしない。

















この世には、素敵なひと(もの・こと)しかないのです。





みんな、それぞれにガンバって生きています。















だから、そうみえないのは、じぶんに原因があるのです。(いいわるいではなく)












だから、いつも、大きくもなく小さくもなく




そのままの器のじぶんから



スタートすればいい。













あるがままのじぶんを愛する(客観視)することができないひとは



根本的に、変ることはできません。(もちろん変らなくていい、という前提でのお話です)












なぜなら、これから「わたし」というルーツ(重ねてきたものを)



客観視(愛する=手放す)する作業をしていくのだから。(得るのはそれから)













ゴミは見えなきゃ拾えない。













変り続けることは、何かを得ることではなく、手放すこと。
























じぶんにできることしか



ひとにはできません。










大切な家族(自分の人生)を守るため。














わたしは、そんなムダなことにエネルギーをつかいたくないのです。





しつこいですが、ホントに。
















これは、いまのわたしの思い(意識)ではなく←ここはしんようできないw




懲りてきたわたしの重い思いです。笑











憧れの世界の当たり前の時間の使い方(セルフトークも含め)と



自分の時間の使い方が、まるで違うことへのショックの重み(温度)です。笑













じぶんのイライラ、心配や不安、自信のなさを抱えきれず



だれかやなにかに押し付けようとするひとは?(♪)































いいませんよ。笑
















持てるぶんだけ、持てばいい。














そんなことよりも



他にすること、できること、いっぱいある。















わたしたちは、わたしたちが



観るもの、聞くもの、食べたものでできています。











そこへの意識がてきとう=じぶんへの扱い方もてきとう














生き方も食べ方も



繫がってる。


















何冊目かは忘れましたが



もう何年も続いている、献立表です。











おけいはんの落書きと(字)、わたしの落書き(絵)。笑












(色んな意味で)不器用なのでw



2,3日に一回は見直して、お買い物に。










栄養とか、飽きないようにとか。







食べてくれる家族も、作っているわたしも。







家族みんなの「楽しい」を色々考えます。








わたしの軸は家族の幸せ。












家族というのは、「もっている」



から幸せになるわけじゃない。













そこを勘違いしているひと(思考の状態)は




家族を、じぶんの所有物だと勘違いしている。
















家庭でも仕事でも、プライベートでも



うまくいかないのは、他のなにかのせいではなく



じぶんが、「いい」「わるい」と思っているものの方向(常識・好み)が



トンチンカンなだけ。













世間(過去=幼い自分=親・近くにいた大人の常識)が基準。











本当のじぶんの声をきいていないから。

















家族のそれぞれの、心と体が自由であること。












それぞれの、それぞれが


ガンバりたいところでがんばれる心と体を作る場所が、家庭であったらいいな、




と思うので。











わたしの仕事やプライベートが、まぁくんさんやけいやにどうにもできないように。







お互いに。









家族であっても、それぞれの人生なのだから。












それぞれが、それぞれの場所をガンバるしかないのです。












変ってあげられない。




だからこそ、その場所でガンバれるように




支え合えるひとが必要なんです。


















家族コンプレックスがあるわたしは、いくら仕事でうまく行っていても、趣味がうまくいっていても


家庭が楽しくなければ、やっぱり、幸せを感じることはできません。










そこ(軸)ありき。










そして、ほかがあるから、軸がさらに強くなるしね。うしし♡












すべて繫がり、すべて相乗効果♡




(なので、流れがおかしくなるとすぐにわかるw)















そして、家族の問題は家族で。仕事の問題は仕事で。他は他で。



しか、解決できません。










別物。(そこをしっちゃかめっちゃかにするから、またうまくいかない)














しっちゃかめっちゃかにして




いいことがあったとき、テンションの高いときだけ




もうわたしは大丈夫っ♪という決め付けた思考の源は?(♪)

















こういうひと(決めつけ)が、本当にほしいものは?(♪)




















いいませんよ。笑


















どこまで素直に感じられるかな?♪















「どんなひとになりたい?♪」



「どんな生き方がしたい?♪」














欲しいものは、欲しい。




もうすでに、「ある」のだから。


























 

朝ごはん



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スモークサーモン 赤たまねぎ クレスをパンにはさんだもの

焼いた甘長ピーマン

水切りヨーグルト パイナップルにバルサミコ酢 









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甘長ピーマン・・・



カライゼ







 

おけいさん


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最近疲れ気味やけど大丈夫??

家のことしっかりやってくれて、その上精神的にもタフな仕事してんねんからそりゃ疲れるのも当然やし

むしろひとちゃんはそれを毎日こなしてんねんからめっちゃ強いと思う!

毎日家中雑巾がけしてくれて、おいしいご飯つくってくれて、必要なもんがあったらすぐ買ってきてくれて

常に家中のこと考えてくれて

けどそれがしてもらう側からしたらその大変さも忘れてすぐに慣れてしまうから

そういったことの一つ一つにたいする感謝の気持ちがはっきり現れんくなってしまう

それでもひとちゃんは毎日楽しそうにすべてをこなしてくれる

毎日ほんとに感謝してます

ひとちゃんがおらな、けいやは浪人生活に耐えれてないです(笑)

ほんとに^^;

んで、ひとちゃんがけいやを心配してないという意味のように、けいやもひとちゃん心配せず

信用してるから安心してます!

けいやは常にひとちゃんの味方やから!!

うん、とりあえずそういうこと!!

じゃ、おやすみー(*´ー`*)







朝起きたら、おけいさんより

メールが届いていました




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けいやのほうが

まいにち疲れてるのにね




ありがとう♡♡♡






 

朝ごはん


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無塩バターでソテーした人参

焼いたズッキーニ

ゆで卵とピクルス

ベリビーリーフ りんご クリームチーズ くるみのサラダ

マフィン







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そば粉と豆腐のマフィン


ヤケタカオリガ〜♡












 

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