ケーキたち。



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うひゃっひゃひゃひゃ〜♡







恒例のケーキバイキング。


ちなみに、今回はモンプリュさん。











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我が家の男子は、ちょっと食べて


「あとひとちゃんぜんぶ食べていいよ〜♪」


といってくれるので


「いや〜、わるいね〜、そうかいそうかい♪?んじゃ、ごえんりょなくぅぅぅ〜♡ 」















確実におでぶーになるので


良い子はまねしないでね。w








***





先日のNさんのレッスン♡ 



もう、もう、もう、もうぅぅぅーーーーーー♪♪♪



楽しすぎてヤバシっ♡♡ ♡








相変わらず、わたしたちのレベルはさておき・・www


どんどんとイベントにむけて、進んでゆきます。









先日は、Nさんのダンサー仲間のMちゃんという


キレキレで踊るダンサーさんも一緒に踊ってくれたので


さらに、あらが目立つわたし。









ベリーダンスとは


スピードも表現の仕方も、動きのすべてがまぎゃくだ。。













「ちょっとNさん!


わたしダサすぎなんですけどぉぉぉぉーーーーーーーっ!!!


なんでこんなに、ダサいんですかぁぁぁーーーーーーーっ!!


これ、なんとかならないんですかぁぁぁーーーーーーーーっ!!」









という雄叫びに


相変わらずNさんは



「慣れです、慣れ慣れっ♪楽しければいいんですっ♪」





















(そっか、慣れかっ♪デスヨネ、デスヨネ〜っ♡ )





















って、思えるかい!!










もうわたしは、そんなコトバでごまかされないんだぞ♡ 












『こんなダサいわたしの姿は、マジでヤダ』


と、感じてしまったから。














「イイワルイ」ではなく


「スキキライ」という本音が感じられると


素敵になる(前に進む)しかないので、この「感覚」に出会ったわたしはラッキ〜♡ ♡ ♡
















気づいてよかった♡ ワーイワーイ♪














「楽しかったらいいんです♪」





というNさんの「慣れ」という素敵なコトバが




このままでは、ダンスLOVEでないわたし(=テンションは高いが、たいした練習はしない)にとって



Nさんが伝えたい意味をはきちがえたまま



受け取って満足&納得してしまうことになることは、じゅーぶんすぎるほどわかっている。




(楽しいだけでいいんです♪というコトバにホッとしている自分に、このままではヤバイとぶっちゃけ焦っていた笑)















「なりたい=なる」には、まず「TTP」なのですが



その「TTP」が、吉とでるか凶とでるかは、「本音」の部分で決まります。















このままでは・・・





ダサいことに慣れてしまうではないか。














(そうでなくてーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!)














といって、いくらNさんにヤダ(熱い思い)をアピールしたところで


どうにもならない。








行動しないが思いは押し付けてくるという


とてもめんどくさいひとになってしまって


「楽しみたい♡ 」という思いが、相手にとって


「めんどくさい」または「意味不明なひと」に変ってしまう。











Nさんが、「おっ♪こやつ本気だな♡ 」「なかなかやりよるな♡ 」と思ってもらえるように


結果を出すしかないのですね。ハイハイ




















人生とおなじで、『おこっている、すねている、イジイジしている、冷めているetc・・』という


ちっとも楽しくない状態(=今つまらない)ということが


今、目の前にある、関わるひとや出来事に対し、じぶんの中のセルフトークや感情が教えてくれているにも関わらず



【人生ってこういうもの】



という自分の中の当たり前になる前に


そこ(底)に気づいてなんとかしたい。












絡まってる糸(空まわっている思考)は、できるだけ早くほどきたい(気づきたい)。














だけど、火(気)がついたから「成れる(慣れる)」「できる」のではなく



【こうしたい・こうなりたい→こうする(努力)をする】



という、シンプルな状態があるだけ。











ひと(思考の状態)は


そこに対して、楽しむ努力をしているか、そうならない努力をしているかのどちらか。








そこがつまらないと感じているのに、(楽しむ努力を)できない、しない言い訳


変りたいといいながらも


現状を維持してもいい素敵な理由、正当化にエネルギーをつかう。









どんなに、ごもっともで素敵な言い訳や正当化ができても


そこ(底)が楽しくなることもなく、素敵な何かを重ねているわけでもないことは


火を見るより明らかです。









できない理由や正当化がワルイのではなく。




それでいいんです。変る必要もないし、努力なんてしなくていい、楽を選んだらいいんです。


ひとはできることしかできないから。








(結局わたしって・・・とじぶんにガッカリしながらも)


そんなじぶんをあるがまま愛してあげる♡ 笑
















本当におバカなのはいい。(だってしょうがないから。周りが諦めてくれますw)



でも、バカなふりはしない。ダサいから。



※ちなみに、フリをしたいときは、下心満作で♡ニヤリ
























だから、そういうひと(思考の状態)が、本気で何かをかえたいと思うのであれば



なにもしなくていいから、『今』やっている」セルフトークを重ねることをやめること。










シンプルな流れを止めているのは


だれかやなにかではなく、じぶんのセルフトーク。











この世には、敵なんていなくて


じぶんの中に壁があるだけ。














これ以上、いらないもの(壁)を、増やさない(重ねない)。











ただだからといって、なんでもかんでももらわないことと同じで



もの(わたし)を大切にすることと、抱えこむことはまったく別のもの。





いらないものを、かかえこんでいる、増やしているから


そこ(底)に眠っている素敵なお宝(シンプル)にますます縁遠くなる。=素敵な縁が遠ざかる












なので、ちゃんとみたくないものをみて


キズつくようにしています。









すぐに立ち直るひとは、またおなじことを繰り返す。


いいわけや正当化もおなじ。








せっかくの「感覚」という素晴らしい宝物に対して


「思考」という(今のじぶんにとって)いらないものでふたをする。










その痛みをしっかりと感じられないひとは


やっぱり、本当の痛みを知らないので、またおなじことを繰り返す。









それはどういうことに繫がるかというと


(本当の痛みを感じられないひとは)


本当の意味での愛も感謝も感じられない。









「思考(知識・情報)」という「愛」や「感謝」は知っていても。















じぶんを動かしてくれるのは温度。(愛や感謝、そして悲しみや痛みや切なさや)




なにがいいわるいではなく。










この世には、失敗というものはなく


失敗から得るものがあるだけ。











シンプルなひとが立ち直りや切り替えが早いのは


きちんと、「そこ(底)」を味わえる、心の筋力・体力・持久力


そして柔軟性があるから。











どんな動きをしようが、どの角度からみようが美しい。












そこは、マネできるものではなく


日々のチャンスで、コツコツと積み重ねるもの。













憧れのひとたちが


必ずとおった道(感覚)があると思うのです。








先がみえなくなったとき、こんなじぶん(環境、現状)がもうイヤだ、うんざりだと思ったとき


ここで結果ださなきゃ、もうじぶんには後がない。



という必死さ。






そのときの、「底力」。






本来もっているものが出てきたとき、ひとはいままでのじぶんを手放すことができます。




「イイワルイ」ではなく、「スキキライ」という本音で生きることができる。







=大好きなひと(もの・こと)に依存して生きる。












いままでのじぶんの頭で考える(行動する)から、今その結果(現状)があるということに気づいたら



じぶんなんて、とっとと捨てちゃって



「大好きなひとだったら、こういうとき、どうするか?どう思うか?」





そこで動く。










大好きがなければ、「ヤダ」を基準にして動くと



そこにはいかない。(=いままでのじぶんの思考パターンとは逆のことをする)















結局、スキもキライも、「本音」で生きるとおなじけっかに成る♡














慣れ(成れ)るまでは、たいがい間違ってますが。笑











それを、なんの疑いももたず(今までの自分を含め、だれになにを言われようが思われようが)


ただただ、繰り返す。(+ことを重ね続ける)











まちがおうが、失敗しようが


そこ(本音)とつながっているひとは、幸せです。











そしたら、またあることがわかる。










ああ、あのときの底力を出すタイミング(変れるきっかけ)は


いつも目の前(いまここ)にあったんだ。
















これは、わたしの大好きな(ちょちょちょちょちょーキュートな♡ )イタリアのベリーダンサーさんのコトバなのですが


すごく励まされています。ちなみに、「ダンス」のところを、「じぶん」に置き換えて落とし込んでいます。





















「じぶんの箱から飛び出して!


自分の箱はどうしてもできてしまうものだけれど、そこから出ることは出来る!


ダンスの可能性を追求して!」             
   

                              by violet







































 














 

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